○○語の範囲 〜音の「ゆらぎ」〜

これは何々語だ、というものの範囲ってどこからどこまでなんでしょう?


先日面白いことがありました。
ボーリングでストライクをとってゲットしたおもちゃのボイスレコーダー
先日ぼくが「おかえり!」という声を吹き込み、再生しました。



それを妻に聞かせたところ、
「何て言ってるかわからない。」と、言われました。
そのあと、何回も再生しましたが、いくら聞いてもわからない。



私「じゃあ、あなたには何て聞こえてるの?声に出して言ってみて」



妻「なんか、”ンコーンイ”って聞こえるけど・・・それって日本語?」



私「”おかえり”って入れてるんだよ!聞いてごらん」と言って再度再生すると、、、



妻「ほんとだ!!”おかえり”だ!」

その後は、何度かけても「おかえり」にしか妻には聞こえなくなっていました。

そして、今日仕事を終えた私に妻が、





妻「ちょっとちょっと、これ聞いてフフフ」
といいながら、ボイスレコーダーをピッ



そこには妻の声で「おかえり」との声。



私「うん?”おかえり”でしょ?」



妻「ちがうよ。よーーーく聞いてみて」といいながらピッ



私「”おかえり”にしか聞こえないけど・・・」



妻「ほんとに??」



私「うん」



妻「正解は・・・・・”ンコーンイ”です!!」



私「!!!、マジで!?」



明らかに”おかえり”にしか聞こえない音が実は「ンコーンイ」という全く意味不明の音だったなんて。


人間の言葉にはどうやら音の「ゆらぎ」というものがあるのではないかと思います。



たしかに、「日本語」一つをとっても関西弁から沖縄弁、名古屋弁ズーズー弁といろんな方言があって、
音も大分違います。でも、私たちはそれら全てをひっくるめて「日本語」と呼んでいます。

では、どこから「日本語ではなくなる」のでしょうか?どこから「日本語になる」のでしょうか?

今回の「おかえり」という音もゆらいでゆらいで、「ンコーンイ」にまでなっても、私には「おかえり」と
認識されました。

どうやら人は「自分の持っている音や経験を通して言葉を聞き、理解している」ようです。

仕事を終えた夫に妻がかける言葉、、、それが「ンコーンイ」と発音された時にも夫の私には
「おかえり」として聞こえる。今までの経験と自分の持っている音が「ンコーンイ」の音のゆらぎをとらえてくれるのです。


人は言葉を聞くときに自分の体にある音とその「場」、すべてを察知しながら自分の中で「意味」として理解するというプロセスを
瞬時に行っている。


これが日本語がネイティブでない人に聞いてもらうと「ンコーンイ」に聞こえたかもしれない。


いろんな音を持っている人はきっといろんな言葉に対する「ゆらぎ」に対応できるのだろう。 続く